DXバブルがきた!けど私はデジタル疲れ真っ最中
DXバブルが来ているな、と思う。
複数名のライターさんから同時多発的に「自分はあまりデジタルに詳しくないのだけれども、DX関連の仕事の引き合いが増えている」という話を聞いた。発注する方も書く方も大変そうだ。そうかそこまで世間のDXに対する期待感は高まっているのか。
しかしDX、つまりデジタルトランスフォーメーションというやつは、何かソリューションを導入すれば自動的に成功するという類のものではない。組織や企業文化、教育や外部企業との協業の問題で、推進するためには技術もさることながらマインドの世界の話の方が重要だと私は考えている。だから、どのツールを選ぶかという問題ではないし、まだ勝ちパターンも決まっているわけではないからある程度の失敗を織り込んで実験を繰り返していくしかないフェーズだ。
DXについては着地点がそんな風に私の中でおぼろげながら見えてはじめてきていて、さて次の地平はどこなのだろう…と探っていたところに出会ったのがこの本だ。
「アナログの逆襲」という煽り気味のタイトルだが、いやはや、面白かった。
息を吹き返しつつあるいくつものアナログの営み
デジタル経済がアナログの領域を侵食してきたわけど、デジタル経済には「スクリーンにすべてが集約され、五感を使う機会が減る」だとか「雇用を生み出さない」というデメリットがいくつもある。本書は、きたるべき「ポストデジタル社会」への移行を予感させるさまざまな事象を紹介する。
たとえば「レコード」の復活。紙のメモ「モレスキン」が熱狂的なファンを持つ理由。一時市場から消えかけた「フィルム」が多くの人に求められるようになった背景。根強くファンを持ち続ける「ボードゲーム」など、さまざまなプロダクト類を例に挙げ、一度火が消えたかに見えたアナログの営みが、息を吹き返した様子をつづる。
また「紙の本」や「リアル店舗」「(手)仕事」「教育」など、一度デジタルにとって代わられたと思われた現象が、今も粛々と生き延びており、むしろデジタルより効果をあげている面もあるということを紹介する。
最後には、デジタル業界がその内部に、あえてアナログを取り込もうとする理由について言及している。
「無限にある」は「何もない」
本書を読んでいて私が強く共感したのが「制限」の必要性だ。
「制限があることは悪いことに思われているけれども、そのおかげで作業が進む」 「物理的に限られた空間は、想像できる自由があることを意味する」
デジタルが登場したことで、デザインでも執筆でも、作業をするときは何回もアンドゥ・リドゥを繰り返すことができるようになった。アナログであればできなかった、無限の試行錯誤。しかしこれが作り手に別のストレスをもたらしている。アナログには「制限」がつきもので、それが「無限のストレス」を軽減させ、仕事を前に進めると本書では言う。
無限のストレスは買物についても言える。
「品揃えが無限にある店は魅力的に思えるが、買物する側としては実は商品が限られている方がずっといい」
ECが登場して以降、本当にこの商品でいいのか、今買っていいのかというストレスは激増した。レビュー沼にはまり価格コムとにらめっこする日々。買った後も「これで本当によかったのかなぁ…」と煩悶する。一方、実店舗には店舗面積という物理的な制限があり、それがストレスの少ない買物につながっていることに人々は気づき始めた。
また、店舗に人々が求めるものも変化している。
「実店舗は経験を提供するが、ウェブではそれができない」 「昔の小売店は、必要なものを買いに行くところだった。今の小売店はその店らしさを感じる場所であり、経験するところへと大きな変化をした」
ECでは味わえない、「五感で楽しむ経験をする」場所になったのだ。
これって、ものすごく可能性があることだ。人と出会い、商品と出会い、文化が生まれ、都市を作る場所。店舗は、もとはそのような場所だった。だからうまいことデジタルを活用することができれば、小売業はそういう本質的なことに注力できるようになるのではないか、と感じる。
日本のポストデジタル経済は独自進化する
日本は海外に比べデジタルへの振り切れ方が弱い。コロナ禍に後押しされてやっとデジタル化に興味を持った程度であるから、そもそも一般の人が「デジタルに疲弊する」という状態ではない。近い将来、皆がスマホジャンキーのようになってやっと、アナログの価値に気づくんだろう。ゆえに「ポストデジタル経済」の到来も他国と比較して遅くなるか、あるいは独自の進化を遂げるんだろうな、とも思う。
本書は、さまざまな「アナログ」の良さを示す。デジタルに食傷気味だった私にとって、光明を指し示すような書籍だった。つまり、スクリーンばかり見ていないで、もっと五感を使い、身体性を取り戻すことで、人生を味わおうってことだ。このコロナ禍ではなかなか難しいことではあるが、他人と接触しないように、こどもと一緒に自然の中に飛び込んでいくことぐらいはできるだろう。
(念のためですが、筆者はデジタル的なものを全面的に否定するわけではないことだけは付記しておきます。むしろデジタル的なものがとことん好きな方なので、適切な利用方法と距離感を模索しているというスタンスですし、デジタルが社会をどう変えるかについては、ライフワークとして研究執筆に取り組んでいきたいと考えています)